私は処世としての商業を否定しません。
そして、ある意味、仕事の傍らで書き続ける状況が変わったらハッピーだな。という気持ちもある。
ただ、商業的であることが、いまのマスコミの価値を下げている。ならば、私はそのようなものに属するつもりはもうとうありません。
商業的であることを具体的にいえば、
・自らのスポンサー(広告主)にとって都合のよい文章を書き、広告量を増やそうとすること。
・批判的記事を書くことで興味を引き、読者を増やそうとすることです。
本来あるべきは、
・現実に反対であれば、反対する記事を書く。賛成であれば賛成の記事を書く事。(それを意見ではなく、事例の選択で婉曲に表現すること)
・現実に起きていることは、なるべく偏向しない視点で取り上げる。
・抽象的な意見は最低限に抑え、具体的事象をとりあげることによって、自らの視座・問題意識を示す。
そういうことをめざすべきです。
それらは個の問題であり、メディアの問題である。そして、それはシステムでは達成できぬ。
情報を発信するひとたちの矜持として成立させなければならないと思っています。


by sponta
ヴォルテールの言葉